前回の記事では未来と過去に関して書きました。
今日は自分と他人に関して。
~自分は変えられるに関して~
過去と未来と同様、変化の可否を考える前にまず「自分」とは何か?
というものを考えていくのですが、これが意外と
わからないことが多いものです。
「自分(私)」というものをひとことで定義することというのは、
今の僕自身が探究していることでもあるのでなかなか難しい。
探究中である「自分」という存在がわからないことが多いということを
前提として「自分は変えられる」ということを考えてみると
自分が心底変えたいと思うことであれば
自分自身の側面(内面)や行動の選択は変えられる
というのが現時点での解釈です。
自分は変えられるというのは、あまりにも抽象的な表現すぎるんです。
例え自分の全てを変えたいという人がいても、実は「全て」ではなく
自覚できている範囲で全てという表現が適切です。
なので、自覚できていない部分に気づいたとき、もしかしたら
変えたくないという自分にも出会う可能性は大いにある。
自分は変えられるというのは当たり前で
自分自身の責任において
変えたい側面があるならどうぞご自由に。
~他人は変えられないに関して~
この表現も抽象的な部分が多いのです。
この他人は果たしてどこまでを他人としているのか?
変えられないというのは誰(何)からは変えられないのか?
それらの点が不明確のためあまりにもザックリしすぎなんです。
まぁ、あくまでも私見を述べるブログですから
ここで言う他人とは、自分以外の存在である人間は全てであり、
その他人は誰からも変化の影響を受けないという前提で
自分の考えをお伝えします。
もう、この前提をお伝えした時点で「?」と
なったかたもいるかもしれませんが
他人は変えられないというのは、大間違いです。
嘘と言ってもいいくらい。
自分の経験を振り返ってみて欲しいのですが
例えば何気なく出てしまっている口癖や態度
それから自分が日常から行っている言動全て
本当に誰からの影響も受けず生きてきたのかどうか。
あなたはどうやって歯磨きやご飯を食べることを覚えたのですか?
字の書き方は?そして、誰かから言われた言葉で傷ついたり
へこんだり、逆に喜んだり楽しくなったり・・・
それを考えた時に、どんな人間も確実に他人からの影響を受けます。
程度にもよりますが人は、かなり他人からの影響を受けやすい。
そんな当たり前のことなのですが、なぜか自己啓発業界の方々は
他人は変えられないという「言葉の影響を受けている」滑稽さに
気づいていない方が多く、また世の中とその言葉の矛盾に
勝手に苦しんでいる方も多いのです。
人は人との間で互いに影響しあう生き物だと僕は考えます。
それをまずは理解した上で、自他の区別をつけると
影響は比較的受けにくくなるのかもしれませんが。
エリックバーンはどのような意図でこの言葉を言ったのか。
生きていれば聞いてみたいことです。